黒沼先生
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両親が年をとってから産まれたうろこは、兄が11歳年上だったこともあり、 ミンナに蝶よ花よ、うろちゃんよ、、と育てられ・・・・弱虫だった。 ママはワタシを幼稚園の見学に連れて行ったが、 そこに通うことはなかった。 集団で、みんなで同じ上っ張りを着て、 同じかっこで右へ左とお遊戯するうろこを、 ママは見たくなかったからだ、と、あとで教えてくれた。 自らの人生経験から、 ミンナと一緒じゃないと困る、というようなモノの教え方はしたくない、と。 今でこそ、さすがママ!と思うが、、 それが小さいうろこには、ただの、苦悩の種・・。 コドモ時代というのは、 世界がせまいもんだから小さいことで傷つきやすく、 知らないことが多いもんだからコワイものも多く、 毎日は今よりも数弾、大変なモノだった(成長するってイイコトだ!) やがて、義務教育の小学校に上がった日・・ だれもが、同じ幼稚園・保育園出身の子供達とつながって歩くのを、 うろこは戸惑って、見ていた。 ・・・知っているヒトがだれもいない。 私を守ってくれるものも、ナニもない。 先生に、出身幼稚園や保育園をきかれたとき、 「ありません」と、うろこが言ったことに対して 何人かのコドモたちが、 「えー!アノコ、ミンナと一緒じゃないんだー!」 「幼稚園も保育園も行かないなんて、へーんなの!」 といって騒いでいた。 騒ぎの真中で、ワタシは戸惑い、学校に行くのがいやになった。 ・・・ナニがいけないんだ? どうしたらいいか、わからない。こわい。 当時、集団登校といって、近所の上級生迎えに来て一緒に登校するしくみがあったが うろこは一旦は家を出るものの、途中で脱走し、道草をし、 それでも30分もしないうちに家に戻っていた。 そのことで、ワタシの両親はワタシをしかりはしなかった、、 いやがるものをムリに行かなくてもいい・・・・ ンまー、そのうち、慣れるデショ、、と。 当時の担任の先生、黒沼先生・・・、おばあちゃん先生だったが 愛情あふれる先生で、よく、我が家にうろこの様子を見に来てくれた。 うろこの勉強は、 黒沼先生が持ってきてくれるドリルと添削のおかげで、遅れることはなかったようだ。 そのうち慣れるでショ・・と、親が気にもしなかったうろこの登校拒否は ハナから学校に行かないものだから慣れるわけもなく、 学校に行きたいという欲求も出ず、1学期を終わろうとしていた。 いよいよ諦めた親が、学区をこえたところから、 ミッションスクールを探してきた。(母親がミッションスクール出身だったこともあり・・・) 小学校・中学校・高校・短大まで続く、ミッションスクール。 嗚呼、それはお嬢サマの花園。 そしてうろこは夏休み、その学校の試験をうけ、合格し 「お嬢サマ」たちの花園へ、お邪魔することになった。 (ところがこのミッションスクールで、 本来の(親譲りの)破天荒な性格を開花させて、 3年後には公立校に戻ることになるとは、当時は誰も、知る由もなく・・・) 転校が決まり、登校日に親に連れられて報告がてら挨拶をしにいった翌日・・。 黒沼先生はオルゴールを持って、うろこの家まできてくれた。 黒光りする、立派なオルゴール。 フタを開けると、赤いビロードが敷き詰めてある。 右1/3に鏡がのった台が添えつけられ、 その鏡ののった台の中には磁石がしかけてあるらしい。 鏡の上に、オルゴールに入っていたバレリーナ人形を乗せると クルクルとスピンをしながら円をかいて、 まるで人形が、自分の意思を持っているように踊り出す。 「うろちゃん、元気でね・・・・。 ・・・・先生、さみしいけど、元気でね。」 玄関に立ったままの黒沼先生が、うろこのアタマをなでてくれ、抱き寄せてくれた。 ほとんど学校にいかなかった、うろこ。 黒沼先生の腕の中で、コドモ心ながらに、 ・・・・カラダじゃないどこか、が痛いような気がした。 黒沼先生は、次の約束があるといって、すぐに我が家を後にした。 雨模様の日だったと記憶している。 先生の、くたびれたレインコート姿をみおくりながら 先生、さよなら。 先生、ごめんなさい。 先生、黒沼先生、元気でいてください・・・。 ・・・何一つ言えなかった。 ・・・そのオルゴールは、それだけは、 数々の引越し・事件に耐えて、今もうろこの手元にあって ・・・フタをあければ、優しい音を聞かせてくれるのヨ。 |
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